手術後

手術が終わって2日後だったか、初めて自分の顔を鏡で見た母は、やはりあまりの酷さにビックリしたようだった。

「孫たちがショックをうけてトラウマになっても嫌だから、しばらく会わない方がいいのではないか・・・。」と言ったぐらい人に顔を見られるのが怖かったのだと思う。

幸い私の長男は中学2年生になっていたので、たいがいのことは理解できていたので、「大丈夫だよ!ばあちゃんはばあちゃんだから!」と言ってくれ、その後休みの日にお見舞いに行った時は、「思ったより酷くなかった。逆に、後から少し良くなったばあちゃんを見ても、違うって思ったかもしれない。」と言っていました。

心やさしい息子に感謝でした。

 

母が入院していた病棟は、頭頸部の癌の病棟でした。頭頸部の癌というのは、首から顔面で頭の癌は含まないのですが、圧倒的に男の人が多く、咽頭癌、舌癌、耳下腺癌、甲状腺癌、口腔癌、喉頭癌などがあるようです。(他にもあると思いますが、分かるだけあげてみました。)

母がここに入院するまで、知らなかった癌や聞きなれない癌も多々ある病棟でした。

なにより内臓系の癌と違って、見た目にハンデを負ってしまうことが多く、母のように顔面の変形の患者さんもいましたし、口から食事ができない、話すことができない方、鼻を手術した方、などいろいろな方がいらっしゃいました。

頭頸部の癌がすべてそうだとは言いませんが、そういう患者さんが多かったです。

なので母は、病棟ではあまり人目を気にすることなく入院生活を送ることができたと思います。

いよいよ手術

癌とわかってから1か月半あまり、手術前日に入院。入院する前の日は日曜日だったので、家族みんなで食事会をしました。最後の晩餐なんてふざけて言ってたけど、母の食欲はなかったな・・・。

こんなことになる前に、みんなで食事にいっぱい行っておけばよかった・・・。

 

手術の日は、父、姉、妹が付き添い、母の手術が終わるのを待った。

予定より時間がかかったけど無事終了。先生からとった癌を見せられたけど、素人にはよく分からなかった。と姉が教えてくれた。

 

 

次の日、電車がとまっていて何時間か動かなかったため、急きょ、私と姉の2人で車で病院へ。

着いた時には一般病棟に戻っていたけど、母の顔を見てびっくりしてしまった。

何とか平静を装っていれたと思うけど、正直ショックだった。

瞼とほほは腫れあがり、口びるも腫れてるし、殴られたような顔色だし・・・交通事故にあって、顔面をケガしたかのような感じだった。

首の手術あとなんて気にならないぐらいの母の顔の変わりようだった。

よくよく考えたら、顔を形成するのだから腫れるのも当然なんだけど。

 

手術後に入るICUは、ずっ~と唸ってる人の声が聞こえるし、モニターの機械音も聞こえるし、母は怖くなってしまったようで、看護師さんに一般病棟に戻りたい!と訴えたみたい。

母が言うには、一人で歯磨きできたらいいわよ。と看護師さんに言われたらしく、痛いのに頑張ったのよ!って。口もほほも腫れあがり、水さえもうまく飲めずに垂れてきてしまう状態なのに・・・。

特に術後は口の中を清潔にしておくのは重要らしく、口の中の細菌が原因で肺炎などをおこさないためらしい。

 

姉と私は時間ぎりぎりまで母と一緒にいて、帰宅した。

 

 

 

 

 

母の癌は、右耳の下辺りから首にかけて、さわってわかるだけでも4~5個はありました。耳の下には、たくさんの神経があり、手術で神経も取らなければならないようでした。その神経を取ることによって、母の右側の顔が麻痺するとのことでした。眉毛は下にさがり、まぶたは閉じなくなり、ほうれいせんがなくなり、口元が右にさがり閉じなくなる。母の顔の右側だけが変形するのです。

ですが癌研の場合、術後のQOLを考え、癌摘出後すぐに形成外科の先生により顔面の形成が行われます。眉毛は左右対称になるようにあげ、まぶたにはおもりの金の板を入れまぶたが閉じるようにし、ほほと口元が垂れ下がるので、皮膚のしたでつりあげ、ほうれいせんは縫って作る・・・正直、想像もつきませんでした。ただ、麻痺がわからないようにしてもらえるんだ。と少しだけ安心もしました。

 

肝心のしこりの部分の手術は、癌が広がってきていたので、耳の下から鎖骨付近までリンパ節郭清も含め、20センチ以上の傷がつき、耳の下はごっそりえぐり取るかんじになる。とのことでした。

ついこの間まで何でもなかったのに、今だってしこりがある以外は何の変わりもないのに・・・。きっと母はもちろん、みんながそう思っていたと思います。

母は癌と分かってから手術までの間で、精神的なストレスから10キロ近く体重が落ちてしまいました。

検査の日々から手術まで

癌研に行ってからは、前の病院でもやった細胞診をもう一度やりました。

結果は、やはり悪性の癌。しかも、原発ではないようでした。

その日から原発探しが始まりました。

母は、胃の調子が悪いから胃がんかも。と不安がりましたが、結果はきれいな胃でした。その後大腸ファイバーもしましたが、ポリープもなく、きれいな大腸だったようです。PET検査でも、その他の怪しい個所もありませんでした。ただ、やはり耳の下付近と首辺りにはあるようでした。

 とにかく、首のリンパまで広がってきているし、手術しないと・・・ということで、バタバタと予定や日程が決まっていった覚えがあります。

先生も、原発不明で、リンパにも転移がみられるということで、とても急いでくださいました。通常、手術まで2~3か月は待つようですが、母の場合、初めて癌研に行ってから、1か月半後くらいには手術していたような気がします。

 

この間、姉がすべて病院へ付き添ってくれました。たまに父も一緒に行きましたが、あまりあてにならなかったようです。。。

今後も続く病院通いは、すべてと言っていいほど、姉が行ってくれました。

妹はまだ子供も小さかったので、往復4時間近くかかる病院へは付き添えませんでしたし、私たちも自営業で長時間仕事を空けるわけにはいきません。

姉には相当な負担をかけてしまっていたと思っています。

なので、私は出来る時は、有明まで車を走らせて迎えに行きました。

都心の車の運転は、正直不安もありましたが、大腸ファイバーの検査の時に内緒で迎えに行ったら、電車で帰るの不安だったの。ととても喜んでくれました。この時が初めて迎えに行った日なのですが、帰りの車の中で、母と姉と私の3人で見た銀座のビル群のきれいな夜景は、いまでも忘れられません。あの日から母とはもちろん、姉とも急速に仲良くなっていったような気がします。

 

母との闘病記

ここで、私たちの家族構成を書きます。

まず主人の父、母、そして主人、私、一人息子(当時中学2年生)。

同じ市内に主人の妹家族(妹、旦那さん、長男、長女)。

となりの市に主人の姉夫婦(子供はいません)。

主人と私は、自宅のすぐ近くで自営業をしています。

 

母が病気になるまでは、仲がとても良いわけでも悪いわけでもなく、普通の関係だったと思います。

 

細胞診の結果を聞きに、母と姉が病院へ行きました。

細かいことはあまり覚えていませんが、帰るとすぐに姉が私たちの仕事場に来て報告してくれました。

「お母さんほぼ癌だって。先生がこの病院でも手術はできるけど、もっと専門的な病院に行った方がいいのではないか。どこでも紹介状は書きます。」と。

そこから、急いで病院を探し始めました。

もちろん先生の知っている大学病院も教えてもらったりはしていましたが、いろいろ調べました。まず、母がなった癌は、確定ではなかったですが、耳の下あたりにできる癌でしたので、頭頸部の癌になります。

頭頸部の癌の執刀数の多い先生のところや、がんセンター、癌研、通いやすい病院などいろいろ考えました。

私は、実の姉は臨床検査技師なので、姉にも相談しました。姉の答えは、癌だと分かっているなら、ましてやその癌が原発とは限らないし、なら頭頸部だけに限らず癌に特化している癌の専門の病院がいいと思う。でした。

母は、甲状腺の病気をもともともっていて、その先生にも相談しました。

普通なら、はっきり言わないような気もしましたが、その先生は10年以上お世話になっていることもあってか、僕なら癌の専門の病院へ行く。とおっしゃってくれました。

 

結局、いろんな方の意見も参考に家族みんなで話し合い、1時間以上病院へ行くのにかかりますが、癌研に行くことにしました。

母との闘病記

母から、しこりのことを言われてからしばらくして、母が「昨日テレビでリンパ腫って言うのがやってたの。私、たぶんこの病気だわ。」って。すぐに近所の病院へ行きました。

自分の体の変調は自分で感じ取るのか・・・

近所の病院では、大きい病院で詳しく検査したほうがいいですね。と言われ紹介状を持って帰ってきました。

近所の病院で言われたことは、まず耳の下にできるしこりは、通常は風邪などひいてる時にでることがあって、さわると痛みがある。そして、何日間かで消えるそうです。

母の場合、かれこれ2か月以上しこりがあり、さわっても全く痛みはありませんでした。もちろん風邪などはひいてません。

後で知ったことですが、痛みがないのはよくないことだったみたいです・・・。

 

何日か後、近所に住む主人の姉と母の2人で、まあまあ近場の国立の病院へ行きました。母の場合、耳の下のリンパ付近なので、耳鼻科になるようでした。

その日は、細胞診と言って、しこりの部分の細胞を注射器で採り検査に出してきたようでした。

その時までは、まさか癌だったとは思いもしませんでした。

 

母との闘病記

同居している主人の母が亡くなって もうすぐ10カ月。

細かいことはいろいろ忘れてるかもしれないけれど、母との約2年間を残しておこうと思う。

  

2013年9月ごろだったと思う。母が私に、右耳の下辺りにしこりがあると言ってきた。

痛くも痒くもなく、大きさは小豆ぐらいだったかな・・・。

私も軽く、「なんだろね~脂肪の塊?」と答えたのを覚えてる。

母がしこりに気が付いたのは、7月のはじめぐらいだったらしい。でも友達との旅行があったりで、そのままになっていたらしい。